2010年9月10日金曜日

小和田駅,中井侍駅 ぼくのなつやすみpart1

僕は8月の上旬から一人旅を計画した。
7月の下旬に部活をやめてからもう一週間がたちきもおちついたこの時期、僕にとっては非常にいい気分転換となったのだ。

First Day [My Home-My Grandmother's Home]
一日目は有名な秘境駅と言われる小和田駅、中井侍駅を見た上に西明石の祖父母の家へと向かうという計画だった。
まず、新宿にゆき新幹線で豊橋までいくところから18きっぷの旅はスタートした。

豊橋から三本の路線をつないで作ったという飯田線に乗る。(写真は中部天竜?よく憶えてない。)

とても長い、ここから小和田までは3時間、実を言うと始発に乗るために前日は寝ないという作戦をとったため非常に眠かった。そして、帰りの電車では途中で寝てしまったのだった。
天気こそ悪かったものの初めての電車一人旅、興奮しないわけがない。
いろいろな集落や山をつなぐこえる電車。こんなところにも人は住んでいるのか、と非常に感動したのをよく覚えている。水窪あたりで小学生の女の子がひとりで踏切を待っているのを見たときは本当にそう思った。
しかしそれと同時になんとなく世界の広さを思い知った気がする。
この沿線に住んでいる人々はどんな生活をしているのだろう?
あの少女はこのごどんな人生を送っていくのだろうか?

けれども、そんなことは気にもせず電車は通称わたらずの鉄橋を越えて、小和田駅へと近づいていく。近づくに連れ緊張は高まった。ドキドキ、ドキドキ、わくわくわくわく・・・・と。
そして、電車はトンネルをぬけ、小和田駅へとたどり着いたのである。

小和田駅


小和田駅では四人程度人が降りた、前の大嵐駅より多かったのではないか?と、思える。
水色の電車にサヨナラをすると、人(鉄オタ?)は次々とどこかへ行ってしまい駅のホームには僕一人が残った。あと三時間電車は来ない。




僕は駅付近を適当に撮影したあと、小和田駅の駅ノートを発見した。
沢山の人々がこの駅に訪れていることにさらに世界の広さを感じるのであった。
そして一様ぼくも再び此処に来ることを書き込んだ。

駅の構内の撮影と散策を終えた僕は駅周辺を見てまわることにした。
といってもあるのは少し不気味な森の道が一本。
少し不安な気持ちになって来たころ、謎の芋虫にも刺されてテンションは少しダウンした。
それでもしばらく歩くと、民家を発見。そしてそこに住んでいる人にあった。
ぼくは、あまりの緊張で会釈しかできずにその場をさってしまったのであった。
それにしても彼はいったいどうやって生活してるのだろうか・・・。食料なんかは得られそうにない環境だっただけに、とても気になった。(結局分からずじまいだが・・・。)

さらに少し歩くと吊り橋を発見した。正直渡りたくなかったが六分の恐怖と四分の好奇心とに動かされてその橋をわたって先に進んだのであるが、結局何もなかった。


そして、そのまま駅へと戻り駅構内をくまなく散策したあと、しばらくして電車が来たのであった。


中井侍駅


時間の関係上ここにはほとんど滞在できなかった。
駅に降りるとひとりの少年がカメラを構えていた。
少年とは目があったが軽く会釈をし短い散策を行った。
駅を降りると坂がありその隣に家が一軒。都内で駅とこの近さで家を建てようと思ったらいくらかかるのだろうか。その後すこし散策したあと急いで帰ってきて(この電車を逃すともう三、四時間ここにいなくてはならなくなってしまう。)適当に駅ノートを書いて中井侍をさったのであった。


その後の電車のことはよく覚えていない。
寝てたからなのだろう。
なんやかんやで豊橋に到着した
そこから、東海道本線を使って大垣へ、大垣から米原、米原から西明石へ到着。
なんか、東海道本線の辺りでもかなり意識が朦朧としてて、岡崎、名古屋、大垣、米原、以外に記憶がない。しかし、そんな中でも印象的尚且つ感動したのは米原駅であろう。この駅で関西弁を聞いたとき、僕はとても感動してしまった。長旅であったと、とってもよく感じたのである。
そして・・・長い一日を終えたのだった。

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